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腫瘍の遺伝子発現制御ネットワークを司る「ウイルス由来ジャンクDNA」の発見

発表のポイント
  • ジャンクDNA(注1)の一種であるヒト内在性レトロウイルス (HERV、注2) の異常活性化が、腫瘍における遺伝子発現の異常の一因であることを明らかにした。
  • 腫瘍において活性化したHERVは、エンハンサー(注3)として働くことで、転写因子の一種であるKRAB zinc-finger protein (KZFP) 遺伝子群の発現を誘導する。またKZFPの発現上昇は、多数の遺伝子の発現を変化させることで、がん細胞の増殖、遊走および浸潤を抑制することが分かった。
  • 本研究により、HERVおよびKZFPの司る遺伝子発現制御ネットワークの活性化が、がんの進行に対し抑制的に働くことが示唆された。

 発表概要

東京大学医科学研究所 感染症国際研究センター システムウイルス学分野の佐藤准教授らは、腫瘍における遺伝子発現の異常の一因に、ヒト内在性レトロウイルス配列の異常活性化があることを明らかにしました。

ヒト内在性レトロウイルス (human endogenous retrovirus; HERV) はゲノムに存在するジャンクDNAの一種です。HERVの一部はエンハンサーとして働き、近傍に存在する遺伝子の発現に様々な影響を与えます。HERVのエンハンサー活性は、一部のがん細胞において特に活性化していることが知られています。腫瘍において多数のHERVが一度に活性化すると、HERV近傍に存在する多数の遺伝子の発現が変化し、腫瘍の形質が大きく変化する可能性がありますが、この可能性は検証されていませんでした。

本研究では、The Cancer Genome Atlas (TCGA) コンソーシアム(注4)の提供する12種類のがんの腫瘍マルチオミクスデータ (5,470人分) を解析することで、腫瘍におけるHERVの活性化が遺伝子発現および形質に与える影響を解析しました。その結果、一部の患者の腫瘍において多数のHERVが協調的に活性化していること、さらに、活性化したHERVはエンハンサーとして働くことでKRAB zinc-finger protein (KZFP) ファミリー遺伝子(注5)の発現を誘導することが明らかになりました。

KZFPは強力な抑制性転写因子であるため、腫瘍におけるKZFPの発現上昇は様々な遺伝子の発現を変化させ、腫瘍の形質を変化させる可能性があります。そこで、がん細胞におけるKZFPの機能を、培養細胞を用いた実験により検証したところ、KZFPの発現上昇はがんの進行に関わる様々な遺伝子の発現を低下させ、がん細胞の増殖、遊走および浸潤を抑制することが明らかになりました。さらに、腫瘍におけるHERVおよびKZFPの活性化状態とがん患者の病態の関連を解析したところ、HERVおよび
KZFPの活性が高い患者ほど良好な病態を示す傾向にあることが分かりました。

本研究の結果から、腫瘍におけるHERVの活性化は、KZFPの発現を誘導することで、腫瘍の進行に対し抑制的に働くことが示唆されました (図1)。
 
図1 研究結果の概要
A) がん患者間に見られるHERV/KZFP活性の違い。腫瘍におけるHERV/KZFPの活性が高い患者ほど、予後良好あるいは初期がんである傾向にあり、がんの進行に関与する増殖および遊走・浸潤関連遺伝子の発現が低い傾向がある。
B) 予想されるHERV/KZFPの腫瘍における機能。腫瘍において活性化したHERVは、エンハンサーとして近傍に存在するKZFPの発現を誘導する。抑制性転写因子であるKZFPの発現上昇は、細胞増殖および遊走・浸潤関連遺伝子を含む多数の遺伝子の発現を抑制する。その結果、がん細胞の増殖および遊走・浸潤が抑制され、腫瘍の進行に対し抑制的に働くと考えられる。

本研究成果は、2020年10月21日米国科学雑誌「Science Advances」のオンライン版で公開されました。
 

 発表内容

がんの特徴のひとつとして、遺伝子発現の異常および多様性が挙げられます。腫瘍における遺伝子の発現パターンは、患者間において大きく異なっており、がん患者の予後、薬剤への感受性等、がんの様々な病態と強く関連しています。腫瘍における遺伝子発現の異常の背後には、遺伝子発現制御ネットワークの異常が存在すると考えられますが、このネットワークの異常についての詳細は明らかでありません。

ヒト内在性レトロウイルス (human endogenous retrovirus; HERV) はゲノムに存在するトランスポゾン配列の一種であり、ゲノムの約8%を占めています。長年、HERVはゲノムに寄生する、機能を持たない「ジャンクDNA」の一種であると考えられてきました。しかし近年、一部のHERVはエンハンサーとして働き、近傍に存在する遺伝子の発現に様々な影響を与えることが明らかとなってきました。正常組織において、HERVのエンハンサー活性はエピジェネティックな機構により厳密にコントロールされていますが、一部の腫瘍において、多数のHERVが活性化していることが報告されています。腫瘍において多数のHERVが活性化すると、HERV近傍に存在する多数の遺伝子の発現を変化させ、腫瘍の形質を大きく変化させる可能性があると考えられます。しかし、この可能性は十分に検討されていませんでした。

本研究では、腫瘍におけるHERVの活性化が遺伝子発現および形質に与える影響を明らかにするため、米国のThe Cancer Genome Atlas (TCGA) コンソーシアムの提供する12種類のがんの腫瘍マルチオミクスデータ (5,470人分) の大規模な再解析を行いました。その結果、腫瘍におけるHERVの全体的な活性化状態はがん患者間において大きく異なっていること、およびHERVの活性化に伴い、強力な抑制性転写因子として知られる数百種類のKRAB zinc-finger protein (KZFP) ファミリー遺伝子の発現が上昇することが明らかとなりました。

腫瘍において活性化したHERVは、KZFP遺伝子の近傍に密集して存在しており、またHERVのエンハンサー活性はKZFPの発現上昇と強く関連していました (図2A、2B)。さらに、遺伝子発現およびエピゲノムデータの統合解析から、多数のKZFP遺伝子の発現制御に関連すると推定されるHERVを同定しました。HERVがKZFP遺伝子のエンハンサーとして働くことを実証するため、上述のHERVをがん細胞株においてCRISPR-Cas9システム(注6)を用いて切除したのち、遺伝子発現に与える影響を検証しました。その結果、HERV切除により、近傍に存在するKZFP遺伝子を含む多数の遺伝子の発現が低下することが明らかとなり、HERVがKZFPのエンハンサーとして働くことが実証されました (図2C)。
 
図2 HERVはエンハンサーとして働き、KZFPの発現を誘導する
A) KZFP遺伝子および腫瘍において活性化したHERVのゲノム位置の比較。HERVはKZFP遺伝子の近傍に密集して存在する。
B) KZFPの平均発現量とKZFP遺伝子近傍に存在するHERVの平均エンハンサー活性の比較。HERVのエンハンサー活性の全体的な上昇に伴い、KZFPの全体的な発現が上昇する。
C) HERVの切除実験において標的としたHERV。
D) HERV切除が遺伝子発現に与える影響の解析。HERV切除に伴う各遺伝子の発現の増減を表している。遺伝子は切除したHERVからの距離に基づき層別化されている。KZFP遺伝子はオレンジで示した。

KZFPは強力な抑制性転写因子であるため、腫瘍における多数のKZFPの発現上昇は腫瘍の遺伝子発現および形質を大きく変化させる可能性があります。この可能性を検証するため、30種類のKZFPを肺がん細胞株においてそれぞれ過剰発現させ、KZFPの発現上昇ががん細胞の遺伝子発現および形質に与える影響を解析しました。その結果、KZFPの発現上昇は、がんの進行に関わる様々な遺伝子 (細胞増殖および細胞遊走・浸潤に関連する遺伝子) の発現を低下させること、さらにはがん細胞の増殖、遊走および浸潤を抑制することを明らかにしました (図3)。また、TCGAの提供するがん患者における腫瘍の遺伝子発現データを解析したところ、KZFPの発現上昇に伴い、上述の細胞増殖および遊走・浸潤に関連する遺伝子の発現が低下していることが明らかとなりました。この結果は、患者の腫瘍においても、KZFPが上述の細胞増殖・遊走・浸潤関連遺伝子の発現抑制に関与していることを示唆しています。
 
図3 がん細胞におけるKZFPの発現上昇は、細胞増殖および遊走・浸潤に関連する遺伝子の発現を抑制し、がん細胞の増殖および遊走・浸潤を抑制する
肺がん細胞株 (A549細胞) に30種類のKZFPをそれぞれ過剰発現させ、KZFP発現細胞を樹立した。その後、遺伝子発現の変化をRNAシーケンスにより測定し、がん細胞の4つの形質(アポトーシス、増殖、細胞遊走、細胞浸潤)の変化を実験により測定した。
上) 多種類のKZFP過剰発現細胞において発現の低下が見られた遺伝子群。細胞増殖および細胞遊走・浸潤に関連する遺伝子群の発現低下が見られた。
下)KZFP過剰発現によるがん細胞の形質変化。KZFPの発現上昇により、アポトーシスが誘導され、細胞増殖および遊走・浸潤が抑制される傾向にあった。

最後に、腫瘍におけるHERVおよびKZFPの活性化状態と、がん患者の病態の関連を解析しました。その結果、複数種類のがんにおいて、HERV/KZFPの発現が高い患者ほど、良好な予後を示す傾向にあることが明らかになりました (図4A)。また、がんのステージ分類とHERV/KZFPの発現の関連を解析したところ、がんのステージが進行するに伴い、KZFPおよびHERVの発現が低下することが明らかとなりました (図4B)。これらの結果は、腫瘍におけるHERV/KZFPの活性化が腫瘍の進行に対し抑制的に働くことを示唆しています。
 
図4 がんの病態とHERV/KZFPの活性の関連
A) HERV/KZFPの発現が高い患者群と低い患者群の間に見られる術後生存率の違い。4種類のがんにおいて、HERV/KZFPの発現が高い患者群は、低い患者群と比較して、より予後が良い傾向が見られた。
B) がんのstage分類とKZFPの発現量の関連。6種類のがんにおいて、stageが進行するほどKZFPの発現が低下する傾向が見られた。

本研究では、がん患者間における腫瘍の遺伝子発現および形質の違いの背後に、HERVおよびKZFPの活性化状態の違いが存在することを見出しました。すなわち、腫瘍におけるHERV/KZFPの活性が高い患者ほど、予後良好あるいは初期がんである傾向にあり、がんの進行に関与する増殖および遊走・浸潤関連遺伝子の発現が低い傾向にあることを明らかにしました (図1A)。さらに、腫瘍において活性化したHERVは、エンハンサーとしてKZFPの発現を誘導すること、および、KZFPの発現上昇は、がんの進行に関与する様々な遺伝子の発現を低下させることで、細胞の増殖・遊走・浸潤等のがんの進行に関わる形質を抑制することを明らかにしました。これらの結果は、HERV-KZFPにより駆動される遺伝子発現制御ネットワークが、腫瘍に対し抑制的に働く可能性を示唆しています (図1B)。本研究は、従来ジャンクDNAと考えられてきたHERVの新たな機能を解明した点、および、がん患者の新たな分類群を見出した点において意義のあるものと考えられます。また、本研究成果は、KZFPを標的にしたがんの新規治療法の開発、およびHERV/KZFPの活性状態を考慮した個別化医療の確立に繋がることが期待されます。 
 

 本研究への支援

本研究は、佐藤 佳 准教授に対する新学術領域研究「ネオウイルス学」、科学研究費補助金 基盤研究B(18H02662)、伊東 潤平 日本学術振興会特別研究員 PD博士研究員 (学振PD) に対するJSPS 特別研究員奨励費 (PD 19J01713)、科学研究費補助金 若手研究 (20K15767)、木村 出海 大学院生に対する日本学術振興会JSPS 特別研究員奨励費 (DC1 19J20488)などの支援の下で実施されました。
本研究は、東京大学医科学研究所ヒトゲノム解析センターのスーパーコンピュータであるSHIROKANE (http://sc.hgc.jp/shirokane.html) を利用しました。
 

 発表雑誌

雑誌名:「Science Advances」10月21日オンライン版
論文タイトル:Endogenous retroviruses drive KRAB zinc-finger protein family expression for tumor suppression
著者:伊東潤平1、木村出海1、Andrew Soper2、Alexandre Coudray3、小柳義夫2、中岡博史4、井ノ上逸朗4、Priscilla Turelli3、Didier Trono3、佐藤佳1
(1東京大学医科学研究所システムウイルス学分野;2京都大学ウイルス・再生医科学研究所システムウイルス学分野;3 School of Life Sciences, Ecole Polytechnique Federale de Lausanne;4国立遺伝学研究所人類遺伝研究室)
DOI:https://doi.org/10.1126/sciadv.abc3020
 

 問い合わせ先

〈研究内容について〉
東京大学医科学研究所 附属感染症国際研究センター システムウイルス学分野
准教授 佐藤 佳(さとう けい)
https://www.ims.u-tokyo.ac.jp/SystemsVirology/
Facebook: https://www.facebook.com/SystemsVirology
Twitter: https://twitter.com/SystemsVirology

〈報道について〉
東京大学医科学研究所 国際学術連携室(広報)
https://www.ims.u-tokyo.ac.jp/imsut/jp/index.html

 

 用語解説

(注1)ジャンクDNA
ゲノムに存在する「機能を持つか分からないDNA」の総称。がらくた遺伝子とも。ゲノムに寄生する可動性のDNA因子であるトランスポゾン、および遺伝子に類似した配列を持つがタンパク質をコードしない偽遺伝子等が含まれる。ヒトゲノムの大半はジャンクDNAで構成される。
 
(注2)ヒト内在性レトロウイルス (human endogenous retrovirus; HERV)
古代のレトロウイルスに由来するトランポゾンであり、ゲノムの反復配列の一種。ヒトゲノムの8%程度を占める。長年、HERVはゲノムに寄生する「ジャンクDNA」の一種であると考えられてきた。しかし近年、遺伝子やプロモーター・エンハンサー等の転写調節配列として働き、ヒトの生理機能を担うHERVが相次いで発見されており、ゲノムの機能エレメントとして再定義が進みつつある。
 
(注3)エンハンサー
遺伝子の発現を正に制御するDNA配列。様々な転写因子 (DNAに結合し、遺伝子の発現調節に関与するタンパク質) が結合することで機能する。近年、一部のエンハンサーはHERVに由来する配列から構成されていることが明らかとなってきた。
 
(注4)The Cancer Genome Atlas (TCGA) コンソーシアム
米国の超大型がんゲノムプロジェクト。33種類、20,000サンプルの腫瘍について、ゲノム、エピゲノム、トランスクリプトーム、およびプロテオーム等のマルチオミクス情報、および臨床情報を公開している。
 
(注5)KRAB zinc-finger protein (KZFP) ファミリー遺伝子
抑制性転写因子をコードする遺伝子ファミリー。KZFPは遺伝子のプロモーター等に結合することにより、遺伝子の発現を抑制する。KZFP遺伝子ファミリーは高等脊椎動物における最大の転写因子遺伝子ファミリーであり、ヒトゲノム中には400遺伝子ほど存在する。
 
(注6)CRISPR-Cas9システム
ゲノムの任意の領域を切断することができる技術。ゲノム編集に用いられる。本研究ではCRISPR-Cas9システムを応用し、ゲノムから特定のHERV配列を切除した。

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