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概要
東京大学医科学研究所システムウイルス学分野の佐藤佳教授らの研究グループは、サルベコウイルスのさまざまな動物種のアンジオテンシン変換酵素2(ACE2:注1)に対するACE2トロピズム(注2)の違いを実験的に検証しました。サルベコウイルスはSARSコロナウイルス(SARS-CoV)や新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)と分子系統学的に近縁なコロナウイルスであり、その多くはキクガシラコウモリ(注3)を宿主としています。SARS-CoVやSARS-CoV-2の出現はサルベコウイルスがヒトに異種間伝播(注4)したことによると考えられています。また、今後サルベコウイルスの中からヒトに伝播し、大規模な流行を引き起こすものが出現する可能性が考えられています。53種類のサルベコウイルスと17種類のACE2発現細胞を用いた感染実験の結果、SARS-CoV-2に近縁な一部のサルベコウイルスは広いACE2使用域(注5)を持つことが分かりました。次に、感染実験の結果を用いてサルベコウイルスの進化に伴うACE2使用域の変化を推定したところ、SARS-CoV-2に近縁な一部のサルベコウイルスは進化の過程で広いACE2使用域を獲得したこと、およびスパイクタンパク質(注6)の受容体結合ドメイン(RBD:注7)に7つの変異が獲得されたことが推定されました。これらの変異を導入した変異体を用いて感染実験を実施したところ、K439N変異、Y493Q変異、Y498H変異およびD501N変異が広いACE2使用域の獲得に関与していることが分かりました。
本研究成果は2025年9月9日付で、米国科学雑誌「Cell Reports」オンライン版で公開されました。
発表内容
SARS-CoV-2は、2019年末に出現して以降、2025年9月現在までに、全世界において7.7億人以上が感染し、700万人以上を死に至らしめています。また、SARS-CoVは2002年に突如出現し、2003年7月に感染が収束するまでの間に、中国を中心に8000人近くが感染し、700人以上を死に至らしめました。SARS-CoV-2の出現以降、SARS-CoVやSARS-CoV-2に近縁なウイルスが世界各地で200種類以上特定されてきています。これらのウイルスはサルベコウイルスと呼ばれます。サルベコウイルスの多くはキクガシラコウモリから特定されていますが、一部はセンザンコウ(注8)やハクビシンなどからも特定されています。一部のサルベコウイルスではSARS-CoVやSARS-CoV-2と同様に、ウイルスのスパイクタンパク質が動物のACE2と結合することにより、ウイルスの侵入が起こると報告されています。
SARS-CoVやSARS-CoV-2はサルベコウイルスがヒトに異種間伝播したことにより出現したと考えられています。また、今後同様に、ヒトに異種間伝播して大規模な流行を引き起こすサルベコウイルスが出現する可能性も考えられます。SARS-CoVおよびSARS-CoV-2の出現の原理を理解するために、さらには、今後ヒトで流行する可能性のあるサルベコウイルスを予測するために、サルベコウイルスの異種間伝播の原理を理解することは重要です。
本研究では、まずサルベコウイルスのさまざまな動物のACE2トロピズムを明らかにするために、SARS-CoVやSARS-CoV-2に近縁なものを中心に53種類のサルベコウイルスを選出し(図1A)、17種類のACE2発現細胞に対する感染価を評価しました。その結果、SARS-CoV-2に近縁な一部のサルベコウイルスは、使用した17種類のACE2発現細胞のほぼ全てで感染価を示しました(図1B)。このことから、これらのサルベコウイルスは広いACE2使用域を持つことが分かりました。
(A) 感染実験に使用した53種類のサルベコウイルスの分子系統学的関係を、スパイクタンパク質のRBDに基づく最尤法による系統樹で表示しました。*:ブートストラップ値>80、**:ブートストラップ値>90。スケールバーは遺伝的距離(サイトあたりのアミノ酸置換数)を示します。SC2r-cladeは、SARS-CoV-2に近縁なサルベコウイルス群を示します。
(B) 53種のサルベコウイルスのスパイクタンパク質を有するウイルスの、17種類のACE2発現細胞に対する感染価を評価しました。ヒートマップのパネルの色は感染価を示し、赤くなるほど感染価が高いことを示します。
次に、感染実験の結果およびサルベコウイルスのスパイクタンパク質のRBDの分子系統学的解析を用いて、サルベコウイルスの進化に伴うACE2使用域の変化を推定しました。その結果、SARS-CoV-2に近縁なサルベコウイルスは、進化の過程で広いACE2使用域を獲得したと推定されました。また、その過程 (MRCA2 → MRCA1)で7つのアミノ酸変異をRBD内に獲得したとも推定されました(図2)。
感染実験の結果およびサルベコウイルスのスパイクタンパク質のRBDの分子系統学的解析を用いて、サルベコウイルスの進化に伴うACE2使用域の変化を推定しました。系統樹の色はACE2 使用域を示し、青から赤になるほどACE2使用域が広いことを示します。MRCA1はSARS-CoV-2に近縁なサルベコウイルスの共通祖先を、MRCA2はその1つ前の共通祖先をそれぞれ示します。MRCA2からMRCA1に進化する過程で獲得したと推定された7つの変異を黒枠で示しています。
推定された変異が広いACE2使用域の獲得に関与しているかを検証するために、SARS-CoV-2に近縁なサルベコウイルスの1つであるGuangdong/1/2019(GD2019)のRBDをMRCA2に置換したキメラタンパク質(GD2019-MRCA2)を作製しました。このタンパク質に7つの変異を1つずつ、あるいは複数導入しました。これらの変異体を用いて、17種類のACE2発現細胞に対する感染価を評価しました。その結果、K439N変異、Y493Q変異、D501N変異の組み合わせ、およびY498H変異がサルベコウイルスのACE2使用域の拡大に関与していることが分かりました (図3)。
以上の結果から、スパイクタンパク質の数個の変異によって、サルベコウイルスのACE2トロピズムは変化する可能性があることが分かりました。将来発生する可能性のあるサルベコウイルスによる感染症の流行へ備えるため、今後もサルベコウイルスの特定を行うだけでなく、スパイクタンパク質などのウイルスタンパク質の機能の変化を明らかにしていくことが必要だと考えられます。
SARS-CoV-2に近縁なサルベコウイルスの1つであるGuangdong/1/2019(GD2019)のRBDをMRCA2に置換したキメラタンパク質(GD2019-MRCA2)に推定された変異を単数、または複数導入した変異体を作製しました。その変異体を有するウイルスの、17種類のACE2発現細胞に対する感染価を評価しました。ヒートマップのパネルはParentalを100とした時の感染価の相対値 (%感染価)を示しており、青から赤になるほど%感染価が広いことを示します。また、ウイルスのACE2発現細胞に対する感染価の中央値をbroadness scoreとして右に表示しました。アスタリスクはParentalと比べbroadness scoreに有意差(P<0.05)があることを示しています。
発表者・研究者等情報
医科学研究所 感染・免疫部門 システムウイルス学分野
佐藤 佳 教授
Spyros Lytras 特任研究員
Arnon Plianchaisuk 特任研究員
Yoonjin Kim 研究実習生
伊東 潤平 准教授
大学院 医学系研究科 病因・病理学専攻
小杉 優介 日本学術振興会特別研究員 博士課程
藤田 滋 日本学術振興会特別研究員 博士課程
大学院 新領域創成科学研究科 メディカル情報生命専攻
Jarel Elgin Tolentino 博士課程
Maximilian Stanley Yo 修士課程
陳 犖 博士課程
論文情報
雑誌名:Cell Reports題 名:Molecular basis of sarbecovirus evolution and receptor tropism in natural hosts, potential intermediate hosts, and humans
著者名:小杉 優介, 松本玄、Spyros Lytras、Arnon Plianchaisuk、Jarel Elgin Tolentino、藤田滋、Maximilian Stanley Yo、陳 犖、Yoonjin Kim、志甫谷渉、伊東潤平、濡木理、佐藤佳*.
(*Corresponding author)
DOI: 10.1016/j.celrep.2025.116220
URL: https://www.cell.com/cell-reports/fulltext/S2211-1247(25)00991-X
研究助成
本研究は、佐藤佳教授に対する日本医療研究開発機構(AMED)「新興・再興感染症研究基盤創生事業(海外拠点活用研究領域)(ベトナムを拠点としたSARS-CoV-2関連コウモリコロナウイルスの探索とそのウイルス学的特性の解明)」、「医療分野国際科学技術共同研究開発推進事業 先端国際共同研究推進プログラム(ASPIRE)(パンデミックの 5W1H を理解するための研究)」、「新興・再興感染症に対する革新的医薬品等開発推進研究事業(重点感染症の病態発現と宿主の遺伝的背景の関連解析とその実証)」、AMED 先進的研究開発戦略センター(SCARDA)「ワクチン開発のための世界トップレベル研究開発拠点の形成事業(UTOPIA, 東京フラッグシップキャンパス(東京大学新世代感染症センター))」、AMED SCARDA「ワクチン・新規モダリティ研究開発事業(100日でワクチンを提供可能にする革新的ワクチン評価システムの構築)」、日本学術振興会(JSPS)「国際共同研究加速基金(国際先導研究)(JP23K20041)」、JSPS 「基盤研究(A)(JP24H00607)」、伊東 潤平准教授に対する科学技術振興機構(JST)「さきがけ(JPMJPR22R1)」、JSPS 「基盤研究(B)(JP25K00116)」、公益財団法人 シオノギ感染症研究振興財団「次世代育成支援研究助成金」、AMED SCARDA「ワクチン開発のための世界トップレベル研究開発拠点の形成事業(UTOPIA, 東京フラッグシップキャンパス(東京大学新世代感染症センター))」などの支援の下で実施されました。
用語解説
(注1)アンジオテンシン変換酵素2(ACE2)アンジオテンシン変換酵素2。細胞の細胞膜に局在し、昇圧作用を持つアンジオテンシンIIをアンジオテンシン (1-7)に変換する酵素である。SARS-CoVやSARS-CoV-2など、一部ウイルスの侵入の際に、受容体としても使用される。
(注2)ACE2トロピズム
あるサルベコウイルスが特定の動物種のACE2を使用するという性質。動物種の間でACE2のアミノ酸配列は多様化しているため、サルベコウイルスの間でこの性質は異なる。
(注3)キクガシラコウモリ
翼手目キクガシラコウモリ科キクガシラコウモリ属に分類されるコウモリ。多くは東アジアや東南アジアに生息するが、一部の種はヨーロッパやアフリカに生息する。サルベコウイルスの多くはこのコウモリから特定されている。
(注4)異種間伝播
ウイルスが元の宿主から別の動物種に伝播すること。この現象が発生するためには、ウイルスが変異することで受容体や免疫機能の違いなどに起因する「種の壁」を乗り越える必要がある。この現象が発生すると、元の宿主では病原性を示さなかったウイルスが新たな動物種で病原性を示すようになったり、大規模な流行が発生したりすることがある。
(注5)ACE2使用域
サルベコウイルスが感染に使用可能なACE2の範囲。これが広い場合、そのサルベコウイルスは多くの動物種のACE2を感染に使用可能である。
(注6)スパイクタンパク質
サルベコウイルスのエンベロープ表面に存在する膜タンパク質。細胞の受容体と結合し、膜融合を引き起こすことによって、ウイルスの侵入に大きく関与する。
(注7)受容体結合ドメイン (RBD)
スパイクタンパク質の中で、ACE2との結合に関与する領域。サルベコウイルス間でこの領域のアミノ酸配列は多様化しており、サルベコウイルスのACE2トロピズムが異なる要因の1つと考えられている。
(注8)センザンコウ
鱗甲目センザンコウ科に分類される哺乳類。中国南部や東南アジア、アフリカの熱帯地域に生息している。一部のサルベコウイルスはこの動物からも特定されている。SARS-CoV-2の出現は、コウモリ由来のウイルスがこの動物にまず伝播し、さらにヒトに伝播したことによる、という説がある。
問合せ先
〈研究に関する問合せ〉教授 佐藤 佳(さとう けい)
https://www.ims.u-tokyo.ac.jp/imsut/jp/lab/ggclink/section04.html
東京大学医科学研究所 プロジェクトコーディネーター室(広報)
https://www.ims.u-tokyo.ac.jp/
