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概要
国立研究開発法人国立がん研究センター (理事長:中釜 斉、東京都中央区) 研究所 (所長:間野博行) がんゲノミクス研究分野分野長 柴田 龍弘(国立大学法人東京大学医科学研究所附属ヒトゲノム解析センターゲノム医科学分野教授兼任)は、英国サンガー研究所並びにWHO国際がん研究機関(International Agency for Research on Cancer, IARC)との国際共同研究に参画し、発症頻度の異なる日本を含む世界11か国の腎細胞がん(淡明細胞型腎細胞がん)962症例の全ゲノム解析から発がん要因の解析を行いました。その結果、日本人の腎細胞がんの7割に他国にはほとんど見られない、未知の発がん要因が存在することが明らかとなりました。また腎細胞がんの危険因子として知られている喫煙・肥満・高血圧・糖尿病について、喫煙は遺伝子の変異に直接作用していることが分かりましたが、肥満と高血圧と糖尿病は、遺伝子の変異を直接的に誘発しないことが示唆されました。
今後さらに研究を進め、本研究で明らかになった未知の発がん要因を解明することにより、日本における腎細胞がんに対する新たな予防法の開発が期待されます。
本研究は、英国王立がん研究基金(Cancer Research UK)並びに米国がん研究所によって設立されたCancer Grand Challenge注1が進める国際共同研究(Mutographs project注2)で、世界の様々な地域における悪性腫瘍の全ゲノム解析を行うことで、人種や生活習慣の異なる地域ごとに発症頻度が異なる原因を解明し、地球規模でがんの新たな予防戦略を進めることを目的として実施されているがん疫学研究です。腎細胞がんの解析は、全悪性腫瘍を通して食道扁平上皮がん注3に次いで実施されました。
また国内では、国立研究開発法人日本医療研究開発機構(AMED)の支援を受け、研究成果は英国専門誌「Nature」に2024年5月1日付で発表されました。なお本データは広く研究者が利用できるよう、国際がんゲノムコンソーシアム(ICGC-ARGO)注4に登録され、公開されます。
背景
腎細胞がんの組織型とこれまでのゲノム解析研究腎臓がんは「腎細胞がん」と「腎盂(う)がん」に分けられ、「腎細胞がん」が腎臓がんの8割程度を占めます。腎細胞がんは、細胞形態から様々なタイプ(組織型)に分けられますが、淡明細胞型腎細胞がんは最も頻度が高く、腎細胞がん全体の60~75%程度を占めます。その発症頻度は地域ごとに大きく異なることがWHOから報告されています。チェコやリトアニアをはじめとする中欧・北欧で特に罹患率が高く、ここ数十年では高所得国での罹患率が増加しており、日本においてもその罹患率は増加傾向にあります。発症の危険因子として喫煙、肥満、高血圧、糖尿病が知られていますが、これらの因子の関与は50%未満の症例に限られているとも言われており、地域ごとの腎細胞がんの発生頻度の違いは十分説明できていませんでした。
がんは様々な要因によって正常細胞のゲノムに異常が蓄積して発症することが分かっています。点変異のような突然変異はがんドライバー遺伝子注5の活性化や不活性化を来す主要なゲノム異常の一つですが、近年の大規模ながんゲノム解析から、突然変異の起こり方には一定のパターンがあることが明らかになってきました。こうしたパターンは変異シグネチャー注6と呼ばれ、喫煙や紫外線曝露といった様々な環境要因と遺伝的背景によって異なることも知られています(図1)。中でも点変異のシグネチャーはSingle Base Substitution Signature (SBS)と呼ばれています。
研究方法
サンプル収集淡明細胞型腎細胞がんの発症頻度の異なる11か国から962症例のサンプルを収集し、全ゲノム解析を行いました。症例数の内訳は日本36症例、イギリス115症例、チェコ259症例、セルビア69症例、リトアニア16症例、ルーマニア64症例、ポーランド13症例、ロシア216症例、カナダ73症例、ブラジル96症例、タイ5症例です(図2)。
変異シグネチャー解析
全ゲノム解析データから突然変異を検出し、複数の解析ツールを用いて変異シグネチャーを抽出しました。その後、地域ごと、臨床背景ごとに変異シグネチャーの分布に有意差があるかについて検討を行いました。
研究結果
1. 日本人淡明細胞型腎細胞がんの7割に特徴的な変異シグネチャーを発見変異シグネチャー解析の結果、日本の淡明細胞型腎細胞がんの72%の症例でSBS12が検出されましたが、一方他国では2%程度の症例に留まっていました(図3)。また、以前の遺伝子解析研究で、日本人の肝細胞がんにおいても同様にSBS12の検出が多いことが示されています。これらの結果から、日本での腎細胞がんおよび肝細胞がんにおけるSBS12を誘発する発がん物質への曝露頻度は高く、他国では非常に稀であることが分かりました。SBS12を誘発する要因は現在のところ不明ですが、遺伝子変異パターンから外因性の発がん物質(環境要因)である可能性が高いことが示唆されました。なお日本人に多く見られるアルコールからアルデヒドへの代謝が滞るアルデヒド脱水素酵素2型のタイプと、今回検出されたSBS12との関連は明らかではありませんでした。SBS12の原因物質を同定することで、日本における淡明細胞型腎細胞がんの新たな予防法や治療法の開発が期待されます。
(A)についてSBS4は喫煙が原因、SBS12は原因不明、SBS22a/22bはアリストロキア酸が原因、SBS40a/b/cは原因不明を示す。
2. 腎細胞がんの危険因子と変異シグネチャーの関係
淡明細胞型腎細胞がんの発症に至る危険因子には、加齢、喫煙、肥満、高血圧、糖尿病などが知られています。 今回検討された変異シグネチャー解析では、加齢、喫煙と相関する変異シグネチャーが検出されました。特に喫煙と相関していたSBS4は既に他のがん種においてタバコ由来の発がん物質が原因であることが示されています。その一方で、肥満、高血圧、糖尿病などの危険因子と特定の変異シグネチャーとの関連は観察されませんでした。この結果から、肥満や高血圧や糖尿病の危険因子は直接的に遺伝子変異を来さないようなメカニズムで発がんに寄与している可能性が示唆されました(図4)。
淡明細胞型腎細胞がんで頻繁に突然変異するがん遺伝子として知られているVHL、PBRM1、SETD2、BAP1を含む136の遺伝子で、合計1,913のがんドライバー変異が見つかりました。これらの遺伝子における変異の頻度は、各国で大きな差は見られませんでした(図5)。日本人症例で多く検出されたSBS12は、がんドライバー遺伝子変異に特に多いわけではありませんでした。この理由としては、まだSBS12を持つ症例の全ゲノム解析データが少なく、十分な統計解析ができなかったことが考えられます。一方で淡明細胞型腎細胞がんの極めて強い危険因子であるアリストロキア酸注7に曝露された症例では、がんドライバー遺伝子にもアリストロキア酸関連の変異パターンが検出され、アリストロキア酸ががんドライバー遺伝子の突然変異に強く関与していることが明らかになりました。
展望
本研究は、食道扁平上皮がんに次いで行われた全ゲノム解析を用いた国際的な大規模がん疫学研究であり、各国の発がん分子機構の違いが明らかになり、疫学研究における全ゲノム解析の有用性を改めて示しました。特に日本症例から特徴的な変異パターンが発見されました。原因となる物質は現在のところ分かっていませんが、その解明に向けて多施設共同研究によって国内の各地域からサンプルを集め、全ゲノム解析を行う研究計画を進めています。今後の研究でその原因物質やこの変異パターンによって誘発されるドライバー異常が明らかになれば、日本における淡明細胞型腎細胞がんの新たな予防法や治療法の開発が期待されます。現在国内では全ゲノム解析等実行計画注8を推進するための国立研究開発法人日本医療研究開発機構(AMED)プロジェクトが開始され、多くのがん種について日本人症例の大規模な全ゲノムデータが集積されています。これらの研究においても変異シグネチャー解析を用いることで、日本における様々ながん種の発がん分子機構の解明とがん予防への応用が期待されます。
発表論文
雑誌名: Nature
タイトル: Geographic variation of mutagenic exposures in kidney cancer genomes
著者:
Sergey Senkin, Sarah Moody, Marcos Diaz-Gay, Behnoush Abedi-Ardekani, Thomas Cattiaux,
Aida Ferreiro-Iglesias, Jingwei Wang, Stephen Fitzgerald, Mariya Kazachkova, Raviteja Vangara,
Anh Phuong Le, Erik N. Bergstrom, Azhar Khandekar, Burçak Otlu, Saamin Cheema, Calli Latimer,
Emily Thomas, Joshua Ronald Atkins, Karl Smith-Byrne, Ricardo Cortez Cardoso Penha,
Christine Carreira, Priscilia Chopard, Valérie Gaborieau, Pekka Keski-Rahkonen, David Jones,
Jon W. Teague, Sophie Ferlicot, Mojgan Asgari, Surasak Sangkhathat, Worapat Attawettayanon,
Beata Świątkowska, Sonata Jarmalaite, Rasa Sabaliauskaite, Tatsuhiro Shibata, Akihiko
Fukagawa, Dana Mates, Viorel Jinga, Stefan Rascu, Mirjana Mijuskovic, Slavisa Savic, Sasa
Milosavljevic, John M.S. Bartlett, Monique Albert, Larry Phouthavongsy, Patricia Ashton Prolla,
Mariana R. Botton, Brasil Silva Neto, Stephania Martins Bezerra, Maria Paula Curado,
Stênio de Cássio Zequi, Rui Manuel Reis, Eliney Faria, Nei Soares Menezes, Renata
Spagnoli Ferrari, Rosamonde E. Banks, Naveen S. Vasudev, David Zaridze, Anush Mukeriya,
Lenka Foretova, Marie Navratilova, Ivana Holcatova, Anna Hornakova, Vladimir Janout, Mark
Purdue, Stephen J. Chanock, James McKay, Ghislaine Scelo, Estelle Chanudet, Laura Humphreys,
Ana Carolina de Carvalho, Sandra Perdomo, Ludmil B. Alexandrov, Michael R. Stratton,
Paul Brennan
掲載日:2024年5月1日(英国時間)付
DOI: 10.1038/s41586-024-07368-
研究費
・革新的がん医療実用化研究事業(国立研究開発法人日本医療研究開発機構):国際共同研究に資する大規模日本人がんゲノム・オミックス・臨床データ統合解析とゲノム予防・医療推進・国立がん研究センターがん研究開発費(2020-A7)
発表者
国立研究開発法人国立がん研究センター研究所がんゲノミクス研究分野 分野長 柴田 龍弘、外来研究員 深川 彰彦
用語解説
注1 Cancer Grand Challenge英国王立がん研究基金 (Cancer Research UK)並びに米国がん研究所 (National Cancer Institute)によって設立されたグローバルな資金配分プラットフォーム。がん研究における最も複雑な課題に取り組み、新たな知見を広げ、研究のさらなる進展や科学的な創造性を高めることを目的としている。
https://cancergrandchallenges.org(外部サイトにリンクします)
注2 Mutographs project
Cancer Grand Challengeで進められているプロジェクトの一つであり、多様な発がん要因に応じてどのようにゲノム変異のパターンが変わるのかについて、地球規模で解明し、新たな予防法につなげていく国際共同研究である。主任研究者は、英国サンガー研究所所長のSir Michael Stratton博士。日本からは国立がん研究センターが協力機関として参加している。
https://www.mutographs.org(外部サイトにリンクします)
注3 Cancer Grand Challenge “Mutographs project” 食道扁平上皮がんプロジェクト
Cancer Grand Challenge “Mutographs project”として実施された、発症頻度の異なる8か国(日本・中国・イラン・英国・ケニア・タンザニア・マラウイ・ブラジル)における食道がん(食道扁平上皮がん)552症例の全ゲノム解析プロジェクトで、世界で初めての全ゲノム解析を用いた国際的ながん疫学研究。同研究では、日本人では飲酒に伴う遺伝子変異機構が強く働き、食道がんが発症するという詳細なメカニズムが明らかになった。
2021年10月27日 国立がん研究センタープレスリリース
国際共同研究による食道がん全ゲノム解析 日本人食道がんに特徴的な発がんメカニズムを発見
https://www.ncc.go.jp/jp/information/pr_release/2021/1027/index.html
注4 国際がんゲノムコンソーシアム(ICGC-ARGO)
ゲノム情報の利活用により、がん患者における治療効果・予後の改善を目指した国際がんゲノムコンソーシアム (International Cancer Genome Consortium, ICGC)のプロジェクト。ICGC-ARGO (Accelerating Research in Genomic Oncology, ARGO) はICGC 25k Initiative およびPan-Cancer Analysis of Whole Genomes (PCAWG)に続く、ICGCの第3フェーズ。2021年5月現在、日本を始め、米国・カナダ・英国(イングランド・スコットランド)・ドイツ・フランス・イタリア・スイス・韓国・中国・香港・サウジアラビアの13か国が参加を表明している。また、ICGC-ARGOには日本から国立研究開発法人 日本医療研究開発機構(AMED)が支援する研究班(Genome Medicine for Asia-Prevalent Cancers)並びに国立がん研究センターが主導する全国がん遺伝子診断ネットワーク(MONSTAR-SCREEN)が参加し、臨床情報の紐付いたがんゲノム情報の登録・共有を開始している。
注5 がんドライバー遺伝子
異常を起こすことによってがんの発生や進展に寄与する遺伝子を総称してがんドライバー遺伝子と呼ぶ。がん細胞の増殖や転移を促進する「がん遺伝子」とそれらを抑制する「がん抑制遺伝子」がある。がんドライバー遺伝子を標的とした診断(パネル遺伝子診断)や治療(分子標的薬治療)が現在ゲノム医療として進められている。
注6 変異シグネチャー
がん細胞のゲノムに発生する様々な変異には、その要因によって異なったパターンを示すことが知られており、そうしたパターンを変異シグネチャーと呼ぶ。これまでヒトのがんにおいては50種類以上のパターンがあることが知られており、そのうち3分の1はゲノム修復の異常、3分の1は環境要因によるものであることが判明しているが、残り3分の1は未だ原因不明である。
注7 アリストロキア酸
ウマノスズクサ属およびカンアオイ属の植物などに含まれる成分で、重篤な腎障害を引き起こすことが知られている。腎細胞がん(淡明細胞型腎細胞がん)や腎盂・尿管がんの危険因子として報告されており、特徴的な変異シグネチャー(SBS22)を示す。現在の日本において、アリストリキア酸を含有する生薬・漢方薬は医薬品の承認許可を受けておらず製造・輸入されているものはない。
注8 全ゲノム解析等実行計画
がんや難病等の医療の発展や個別化医療の推進等を目的として、令和元年12月に厚生労働省によって策定された。がん領域については、令和3年度からAMED革新的がん医療実用化研究事業において全ゲノム解析等実行計画を推進するプロジェクトが開始されている。この実行計画に基づき、全ゲノム解析等により明らかとなった当該疾患の治療等のために有益な情報等を患者に還元するとともに、研究・創薬などに向けた利活用を進め、新たな個別化医療等を患者に届けることを目指している。
問い合わせ先
・研究に関する問い合わせ
国立研究開発法人国立がん研究センター 研究所
がんゲノミクス分野 分野長 柴田龍弘
(国立大学法人東京大学医科学研究所附属ヒトゲノム解析センターゲノム医科学分野教授兼任)https://www.ncc.go.jp/jp/ri/division/cancer_genomics/member/20151209123119.html
がんゲノミクス分野 分野長 柴田龍弘
(国立大学法人東京大学医科学研究所附属ヒトゲノム解析センターゲノム医科学分野教授兼任)https://www.ncc.go.jp/jp/ri/division/cancer_genomics/member/20151209123119.html
・広報窓口
国立研究開発法人国立がん研究センター
企画戦略局 広報企画室
東京大学医科学研究所 プロジェクトコーディネーター室(広報)
Cancer Research UK