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インフルエンザウイルスHAの変異し難い部位をねらうワクチン抗原のデザイン ――ユニバーサルワクチンの新規ストラテジー――

発表のポイント
  • インフルエンザウイルスのヘマグルチニン(HA)の頭部に位置する主要抗原決定基のアミノ酸残基に多様性をもたせたワクチン抗原(スクランブルドHA; scrHA)を作製した。
  • scrHAで免疫を賦与したフェレットでは、血清のウイルス中和抗体価は高くないものの、鼻粘膜でのウイルス増殖が抑制され、発熱症状が緩和された。
  • scrHA免疫によって、HA頭部の保存性の高い部位を標的とする抗体価が高く誘導されることが明らかになった。
    scrHA/野生型HA で免疫したフェレットの血清におけるHA結合抗体価

 発表内容

東京大学国際高等研究所新世代感染症センター 河岡義裕機構長らの研究グループは、インフルエンザワクチン抗原デザインの新規ストラテジーとして、ウイルスタンパク質の保存性の高い部位を標的とする抗体を誘導する抗原デザインを新たに考案しました。

現在市販されているインフルエンザワクチンの多くは、ウイルスの表面タンパクであるヘマグルチニン(HA)を標的とする中和抗体を誘導することを主眼としています。中和抗体が特に効果的にはたらく標的部位は、HAの頭部の受容体結合部位の周囲に集中していますが、この部位ではアミノ酸変異が頻繫に起こり、中和抗体が効かないウイルスが出現しやすく、ワクチン株と実際の流行株ウイルスの不一致によりワクチンの効果の低減することが問題になっています。そこで、HAのアミノ酸変異が起こりにくい部位を標的とする抗体を誘導することで、抗原性の異なるウイルスに対しても有効な免疫応答を誘導できるワクチン抗原の設計を目指しました。

はじめに、A香港型(H3N2亜型)インフルエンザウイルスのHAを原型とし、HA頭部の変異しやすい箇所すべてにランダムなアミノ酸置換を導入した変異体HAを樹立しました(図1)。これらの変異体HAを混合することで、免疫原性の高い部位に多様なアミノ酸残基をもつ組換えHAワクチン抗原(スクランブルドHA; scrHA)を作製しました。
図1:スクランブルドHA(scrHA)抗原作製のための変異体HAの樹立

(左図)H3N2亜型インフルエンザHAにおいて中和抗体が特に効果的にはたらく標的部位(主要抗原決定部位)を着色し、拡大図にそのアミノ酸残基番号を示す。いずれもHA頭部の受容体結合部位(Tyr98; 赤色)の周囲に位置する。
(右図)主要抗原決定部位に位置する、野生型HAおよび18種類の変異体HAにおけるアミノ酸残基をアミノ酸一文字表記で示す(. は野生型と同じアミノ酸残基を意味する)。

 

scrHAで免疫を賦与したフェレット(注1)から血清を採取し、ワクチン抗原の野生型HAと抗原性が同一の(同抗原性)H3N2ウイルス、もしくは抗原性が異なる(異抗原性)H3N2ウイルスに対する中和抗体価を定量しました。野生型HA免疫群では、同抗原性ウイルスに対して高い中和抗体価が誘導される一方で、異抗原性ウイルスに対しては高い抗体価は誘導されませんでした。一方、scrHA免疫群ではどちらのウイルスに対しても同様に一定程度の抗体価が誘導されました(図2)。
図2:scrHA/野生型HA で免疫したフェレットの血清における中和抗体価

フェレット(N=8/免疫群)を scrHA あるいは野生型HAで2回免疫し、2回目の免疫から3週間後に採取した血清における中和抗体価を、同抗原性H3N2ウイルスおよび異抗原性H3N2ウイルスに対して定量した。図中、破線は同アッセイにおける検出限界の値を示す。


次に、scrHAで免疫を賦与したフェレットにウイルスを接種し、感染後の症状やウイルス増殖を比較しました(図3)。同抗原性あるいは異抗原性H3N2ウイルスのいずれのウイルスを感染させても、scrHA免疫群と野生型HA免疫群では、鼻粘膜におけるウイルス増殖が同程度に抑制されました(図3左・上下)。一方で、感染に伴う発熱症状は、18種類の変異体HAを混合したscrHAで免疫した群のみ、いずれのウイルスの感染時にも有意に抑制されました(図3右・上下、青い線)。
図3:scrHA/野生型HA 免疫のH3N2ウイルス感染への防御効果

scrHA あるいは野生型HAで免疫したフェレットを、同抗原性H3N2ウイルス(上図)あるいは異抗原性H3N2ウイルス(下図)で感染させ、感染後7日間にわたり、鼻スワブ中のウイルス力価(左図)と体温変化(右図)を観察した。一群あたり4匹の平均値を示す。


scrHA免疫群では、同抗原性ウイルスに対して誘導される中和抗体価は野生型HA免疫群より低かったものの、鼻粘膜におけるウイルス増殖、および発熱症状が抑制されました。生体内で、中和抗体に依らない免疫応答も誘導されていることが示唆されます。そこでウイルスを感染させる前に採取した血清に含まれる抗体の性質をさらに詳しく調べるために、HA結合抗体をELISA(注2)で検出し比較したところ、scrHAで免疫した場合には、野生型HA免疫に比べ、頭部の変異しやすい部位よりも変異し難い保存性の高い部位を標的とする抗体が多く誘導されることが明らかになりました(図4)。
図4:scrHA/野生型HA で免疫したフェレットの血清におけるHA結合抗体価

scrHA あるいは野生型HAで免疫したフェレットの感染前血清におけるHA結合抗体価を、異なるHAをELISA抗原として用いて検出した。一群8匹の平均値を示す。


近年の先行研究で、インフルエンザHA頭部の変異しやすい部位を標的とする抗体は、ウイルスの中和に高い効果がある一方で、抗体のエフェクター機能とよばれる、抗体と免疫細胞が共働する免疫応答には抑制的にはたらくことが知られています。scrHA免疫は、保存性の高い部位に対する結合抗体を誘導することにより、中和活性のみに依らない免疫応答を誘導し、動物個体において感染防御に寄与することが示唆されました。

本研究で得られた知見は、インフルエンザワクチンにとどまらず、変異しやすいウイルスに対して、より保存された部位を標的とする免疫応答を誘導するワクチン抗原の設計に有用な知見と考えられます。
本研究は7月19日、米国医学誌「mBio」(オンライン版)に公表されました。

 

 発表者       

東京大学国際高等研究所 新世代感染症センター 機構長
河岡 義裕(特任教授)
<東京大学医科学研究所 ウイルス感染部門/
国立国際医療研究センター 研究所 国際ウイルス感染症研究センター長>

 論文情報

〈雑誌〉mBio(7月19日オンライン版)
〈題名〉Influenza H3 hemagglutinin vaccine with scrambled immunodominant epitopes elicits antibodies directed toward immuno-subdominant head epitopes
〈著者〉Shiho Chiba*, Huihui Kong, Gabriele Neumann, and Yoshihiro Kawaoka¶
*:筆頭著者 ¶:責任著者
〈DOI〉10.1128/mbio.00622-23
〈URL〉https://doi.org/10.1128/mbio.00622-23
 

  研究助成

本研究は、東京大学、ウィスコンシン大学マディソン校が共同で実施し、ビル&メリンダ・ゲイツ財団(Bill & Melinda Gates Foundation)、新興・再興感染症研究基盤創生事業 (中国拠点を基軸とした新興・再興および輸入感染症制御に向けた基盤研究)ならびに、ワクチン開発のための世界トップレベル研究開発拠点の形成事業 (ワクチン開発のための世界トップレベル研究開発拠点群 東京フラッグシップキャンパス(東京大学新世代感染症センター))の支援により行われました。
 

 用語解説

(注1)フェレット
イタチ科に属する。ヒトのインフルエンザウイルスに感受性があり、血清を用いた抗原性試験やウイルスの病原性試験および感染伝播実験等のモデルで用いられる。

(注2)ELISA(Enzyme-Linked Immuno-Sorbent Assay)
抗原抗体反応による特異的な結合を定量する手法。

 問合せ先

〈研究に関する問合せ〉
東京大学国際高等研究所 新世代感染症センター
特任教授 河岡 義裕(かわおか よしひろ)
https://www.ims.u-tokyo.ac.jp/imsut/jp/lab/dstngprof/page_00174.html

〈報道に関する問合せ〉
東京大学新世代感染症センター(広報)
https://www.utopia.u-tokyo.ac.jp/

東京大学医科学研究所 プロジェクトコーディネーター室(広報)
https://www.ims.u-tokyo.ac.jp/

国立国際医療研究センター 企画戦略局 広報企画室
https://www.ncgm.go.jp/

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