東京大学医科学研究所は1892年に初代北里柴三郎先生が設立された伝染病研究所を起源とする日本で最も歴史のある国立大学法人附置研究所です。その名誉ある東京大学医科学研究所の第29代所長を拝命いたしました中西真です。昨年12月の教授総会の場において次期所長に選出されて以来、大変名誉なことと感謝申し上げるとともに、日々その責任の重さを痛感して身の引き締まる思いでおります。新年度を迎えるにあたりここに謹んで就任の挨拶を申し上げます。
まず初めに、前所長の山梨教授には4年間医科研の舵取りにご尽力いただきましたことに深く感謝申し上げます。この間の最も大きな出来事といえば、やはりSARS-CoV-2(コロナ)パンデミックではないでしょうか?まずはこの感染症の被害に遭われた方に心よりお悔やみ申し上げます。過去に経験したことのないウイルス感染症の一大蔓延は、人類がこれまで築き上げた多くのシステムを一瞬のうちに葬り去ってしまいました。医科研も運営面でも研究面でも大きな影響を受けました。運営面では、ロックダウンとはいかないまでも、多くの研究者や大学院生の立ち入りが規制されることになりました。これにより本来なら研究再開に大きな支障をきたすところ、山梨教授の適切なご判断により大きな混乱や感染の拡大を見ることなく着実に研究が再開できたことは特筆すべきことと思います。一方、研究や臨床面では国内のコロナ対策のアカデミア最前線として、感染・免疫部門を中心とした研究者や附属病院の医師・医療従事者の皆さまに粉骨砕身のご活躍をいただき、日本に医科研ありと言わしめたことは大変名誉なこととここに感謝申し上げます。
さて、大学制度改革に目を向ければ、文部科学省が国立大学法人改革の一環として進めてきた「指定国立大学制度」、すなわち大学における教育研究水準の著しい向上とイノベーション創出を図るため、文部科学大臣が世界最高水準の教育研究活動の展開が相当程度見込まれる国立大学法人を「指定国立大学法人」として指定できる制度の実質的な運用が始まりました。「運営から経営への転換」というキーワードを旗印に大学運営費などの公的資金に頼った受動的な大学運営から、民間企業を交えた積極的な経営概念を大学に導入するという大学独立法人化に匹敵する大きな改革になります。しかしながら、民間企業の利潤を追求するという基本原理は、大学の持つ科学原理の探究と、それらの成果を社会に遍く還元するという使命とは二律背反する部分があることも否めません。このような状況で山梨教授は常に冷静かつ的確な判断のもと、絶妙なバランスを保ちながら医科研を発展させてこられました。ここに改めて敬意を表すとともに心より感謝申し上げます。
ここで私の簡単な自己紹介をさせていただきます。私は昭和60年に名古屋市立大学医学部を卒業し、その後直ちに大学院に入学しました。もともと医学部の学生時代から臨床医というよりは基礎医学の道に進むことを考えており、特段悩むことはありませんでした。当時から老化に興味があり、大学院入学後1年足らずで自治医科大学に内地留学してミトコンドリアのATP合成やアミノ酸代謝の研究に着手しました。その後アメリカ留学を契機に本格的に老化、とりわけ細胞老化の研究を開始しました。帰国後は老化と細胞周期、DNA損傷応答との関わりを中心に研究を進め、国立長寿医療研究センター、名古屋市立大学大学院医学研究科を経て平成28年に医科学研究所に赴任し、癌・細胞増殖部門癌防御シグナル分野を担当いたしました。4年前からは前所長の山梨教授の元で総務系副所長として務めさせていただきました。人事等では大変困難な場面にも直面しましたが、折に触れ所長をはじめ岩間副所長、古川副所長、東條元病院長、四柳前病院長、並びに加藤元部長、松井前部長、上原部長を始め、教職員の皆さまには多大な御支援をいただきなんとか乗り越えることができました。ここに心から感謝申し上げます。
さて東京大学においては、令和2年度からは、五神総長から藤井総長へと引き継がれ、新たにUTokyo Compassが掲げられました。この中では、指定国立大学としての「経営力の確立」はもちろんのこと、「知をきわめる」「人をはぐくむ」「場をつくる」の3つの視点が重要視されております。私は現在の医科学研究所を取り巻く環境が刻々と変化している状況において、これらの視点が見失ってはならない、まさに荒波の中で海図に正確な方向を示すCompassのようなものと考えます。私の2年間の任期においてはこのCompassに従った改革をもって所の発展に寄与させていただく所存です。
まず「知をきわめる」は医科学研究所の最も重要かつ変わることのないミッションである研究力の強化を意味していると考えます。所に所属するすべての研究者や大学院生が最高のパフォーマンスを発揮できる環境を構築したいと思います。そのためには研究スペースの有効活用や共通機器の充実はもちろんのこと、現在の医科研の研究により強い相乗効果をもたらす人事を積極的に進める予定です。
「人をはぐくむ」は医科研における大学院生や若手研究者育成の強化を意味していると考えます。医科研は単独で大学院教育を担当しておりませんが、新領域創生科学研究科、医学系研究科、理学系研究科、薬学系研究科、農学生命科学研究科、工学系研究科、情報理工学系研究科、学際情報学府といった多くの大学院研究科の兼担をしております。一方、多くの研究科から大学院生を受け入れることから医科学研究所に所属する大学院生の間での一体感が希薄になっているようにも感じます。今後、所属する研究科や研究グループの垣根を超えて一体感を醸成するために、医科研独自の大学院生、若手研究者育成システムを考えても良いかもしれません。
最後に「場をつくる」はまさに国際共同利用・共同研究拠点を中核とする教育研究環境の強化を意味していると考えます。医科研が国際研究機関と国内研究機関のハブとなり国際的な共同利用・共同研究の推進や大学院生、若手研究者育成の場を形成することが医科研の責務と考えます。このためには、これまで以上に多様な分野で、より多くの世界トップ拠点と、より密接な連携を強めていくことが必要不可欠と考えます。
さてUTokyo Compassでは「経営力の確立」に加え、これまで申し上げた3つの視点を支える重要なポイントがもう一つあります。それは本学の「ダイバーシティ&インクルージョン宣言」で謳われた構成員の多様性の尊重と、その多様な視点を反映するために必要な包摂性の推進に配慮した、皆が活躍しやすい環境を構築することです。例えば、「ダイバーシティ&インクルージョン宣言」を受けて全学で部局女性人事加速五カ年計画が制定されました。医科研の女性教員比率はこれまで20%程度でありましたが、このような新たな取り組みを基礎にジェンダー平等に配慮した人事を積極的に進めることで、現在は東京大学の目標とする25%に近づくところまで増加しました。今後もこの活動を推進していきたいと思っております。もちろんジェンダー平等とは単に女性教員数の問題だけではありません。産休や育休といった問題は、それらを取りやすい職場環境づくりを目指すことが重要と考えます。それらは教員評価や採用時にも大きく影響します。従って、皆様が納得できるジェンダー問題対策を丁寧に作り上げていくことが肝要と考えます。既に医科研では男女共同参画委員会を立ち上げて議論の場を設けており、今後当該問題に対して積極的な提言が出てくるものと期待しております。また、セミナーなどを通じて所内全員に「ダイバーシティ&インクルージョン」に関わる啓蒙活動を活発化していきたいと考えております。
現在、文部科学省は指定国立大学制度の考えをさらに一歩踏み込んで国際卓越研究大学認定制度を始めようとしています。これは、大学が国際的な切磋琢磨を通じて研究力を向上させるという緊張感を持ち、世界トップクラスの研究者の獲得はもとより、次代を担う自立した若手研究者を育成し、活躍できるようにするための大胆な資源配分、研究時間を十分に確保するための研究者の負担軽減、大学の有する知的資源の価値化等に取り組んでいくことを求めるもので、東京大学もこれに向けた申請を行っているところです。このような制度改革の骨子の1つとして「総合知」という考えがあります。
すなわち既存の学術領域の枠、とりわけ文理の枠を超えた知の統合により新たな学問体系を、大学・研究機関の枠をも超えて築き上げていこうというものです。医科研の最大の魅力の1つは、多様な研究領域とヘテロな研究背景を持った研究者が集うことにあります。ここから生まれる考え方こそが知の統合の実践であって、「総合知」への取り組みは国際共同利用・共同研究拠点機能を有する医科研が東大の先陣を切って推進するものと考えます。このため、医科研もこれに対応した改革を進める必要があり、新たな執行部を中心に喫緊の課題として議論していく予定です。
医科研の持つもう1つの大きな特徴として附属病院の存在があげられます。以前は全国附置研究所の多くは附属病院を併設しておりましたが、諸事情により現在は医科研が併設するのみとなりました。もちろん医科研においても附属病院を維持することは容易なことではありません。しかしながら、創立者である北里柴三郎先生の実学重視の考えは今でも医科研の基本方針の1つであり、これを実現化するには附属病院の存在は必要不可欠です。アンメット・メディカル・ニーズに応えることは医科研の持つ使命の1つです。附属病院がますます発展し、1つでも多くの医科研発の先進医療が社会実装されるよう支援していきたいと考えております。このため、これまで4年間経理系副所長としてお勤めいただいた岩間教授に病院担当特命副所長としてご就任いただきました。またもちろん、藤堂病院長、南谷副病院長、吉井看護部長や黒田薬剤部長、上原部長をはじめ、病院にお勤めになるすべての医師、コメディカル、事務部の方々のお力添えも必要となります。ここにあらためてお願いする次第です。
それでは医科研の発展にご尽力いただく研究所の中心メンバーをご紹介させていただきます。まず、部門長会議の皆様ですが、G0部門は柴田教授、G1部門は稲田教授、G2部門は村上教授、G3部門は三宅教授、G4部門は長村教授です。過去に所長、副所長、部門長を御経験された先生が多く、大所高所から極めて適切かつ良識あるご助言をいただけるものと確信しております。
続いて副所長ですが、総務系担当として武川教授に、経理系担当として川口教授に、支援系担当として井元教授にご就任いただきました。また前にも述べましたが、附属病院強化のため岩間教授に病院担当特命副所長としてご就任いただきました。武川教授、川口教授は村上所長の時からの再任となり、また岩間教授は経理系副所長からの連続となりますが、ご無理を言ってお引き受けいただきました。また井元教授もヒトゲノム解析センター長としてお忙しい中お引き受けいただきました。事務部長は引き続き上原部長が留任されますので、所の運営にご経験豊富な方が多くこれ以上はない執行部になったとひとえに感謝しております。
最後になりましたが、医科研が世界に冠たる生命医科学の研究拠点として発展し、医学や医療、生命科学を力強く牽引していくためには、教員、研究者、大学院生、技術職員、医療従事者、事務部・URAの皆様が主役となって活躍できる場を作っていくことが最も重要であると考えております。可能な限り所員お一人お一人の声に耳を傾け、医科研のためになる改革を所員の皆様と共に着実に進めていく所存です。どうぞよろしくご協力のほどお願い申し上げます。
本日はありがとうございました。
中西 真