発表のポイント |
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発表概要
東京大学医科学研究所公共政策研究分野の李怡然助教らのグループは、がん患者、がん患者家族、市民を対象として、全ゲノム解析研究に関する意識調査を行い、認知度、期待や懸念、解析結果の説明希望を明らかにしました。近年、診断が困難で原因がわからない疾患の診断方法や新規治療法の開発を目指して、全ゲノム解析を行う研究が進められています。しかし、これまで日本では、がん患者や家族が全ゲノム解析研究にどのような態度を抱いているかは、明らかにされていませんでした。
2021年3月に実施した調査の結果、全ゲノム解析に対するがん患者の認知度は約5割にとどまるものの、全ゲノム解析研究が診断・治療や、解析結果のデータベースの構築によって医学の発展などにつながることに高い期待をもっていました。他方で、がん患者とがん患者の家族の約6割は遺伝情報が適切に保護されるかに懸念を抱き、がん患者の家族は解析結果を知ることによる不安、遺伝性疾患がわかったときに不利な取扱いを受ける可能性を懸念していました。また、全ゲノム解析研究に参加したいと回答したがん患者のうち、診断・治療法がある疾患の結果を知りたい人は8割を超えました。
全ゲノム解析では、本人がかかっている疾患だけでなく、多様な疾患領域の結果が明らかになる可能性があり、長期にわたってフォローが必要となります。全ゲノム解析の認知を高め、研究参加者のニーズに応じた相談・意思決定支援の体制や遺伝的特徴に基づく差別防止体制の構築が不可欠といえます。
本研究の成果は、2022年12月12日付けで、Journal of Human Genetics誌(オンライン版)に公開されました。
なお、全ゲノム解析に関する啓発や周知は徐々に進みつつあります。とくに全ゲノム解析の成果が期待される小児がんや希少難治性がん、AYA(Adolescent and Young Adult)世代のがん患者や家族の期待や懸念を明らかにするために、今後も定期的な調査を行う必要があります。
発表内容
- 調査の背景と先行研究の課題
日本でも国の主導のもと、がんと希少難治性疾患の患者約10万人を対象とした大規模な「全ゲノム解析等実行計画」(※2)が、2019年12月より進められています。がんの全ゲノム解析等実行計画では、解析結果のうち患者がかかっている病気に関連する情報(一次的所見)だけでなく、患者や血縁者の健康管理の参考になる情報(二次的所見)も、患者や血縁者など本人の希望があれば伝えることが検討されます。また、将来の医学の発展や企業による研究開発にもデータが利活用されるよう、個人情報を保護しつつデータベースを構築することが目指されています。
これまでの海外や日本の先行研究で、がん患者はがん遺伝子パネル検査(がん遺伝子プロファイリング検査)(注3)に対して肯定的な態度をもっていることが報告されています。しかし、全ゲノム解析に対する人々の態度を明らかにしたものはほとんどありませんでした。日本では、2015年に一般市民を対象に全ゲノム解析研究に対する関心度と懸念、参加意欲を調査した研究(https://doi.org/10.1186/s40246-018-0153-7)はあるものの、「全ゲノム解析等実行計画」の対象となるがん患者とがん患者の家族がもつ期待や懸念は、明らかにはされていませんでした。
- 調査の方法・対象・時期
- 調査結果の概要
調査の結果から、がん患者の約5割、がん患者の家族の約6割、市民の約7割が、全ゲノム解析研究について「全く知らなかった」と回答し、認知度は高くないことがわかりました(図1)。
全ゲノム解析研究に対する期待は、がん患者がもっとも高く、特に自身の病気の診断や治療に有益であること、遺伝性疾患の遺伝子の変化が見つかった場合は家族の健康管理に有益であること、データベースの構築による医療の発展につながることを期待していました(図2)。
一方で、懸念に関しては、がん患者とがん患者の家族ともに、約6割が「遺伝情報が適切に保護されるか疑わしい」と回答していました。がん患者の家族は、「解析結果によって不安を感じないか心配だ」「遺伝性疾患の遺伝子の変化が見つかった場合に、不利な取扱いを受ける可能性が心配だ」について、がん患者よりも、高い懸念をもっていることがわかりました(図3)。
全ゲノム解析研究に「参加したい」と回答した人に、どのような解析結果を知りたいか聞いたところ、がん患者の85%が「病気の診断や治療に関連する結果」、がん患者の家族は80.9%が「予防や治療法のある病気の発症可能性」と回答しました。「遺伝性疾患の遺伝子の変化」については、がん患者の54.5%、がん患者の家族の59.8%が知りたいと回答しました(図4)。
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- 結果からの示唆・社会的意義
全ゲノム解析では、患者が現在かかっている疾患だけでなく、多様な疾患領域にまたがる遺伝子の変化が見つかる可能性があり、また、研究が進展すると、数年後に解析結果の解釈が変更される可能性もありえます。研究参加者が研究参加の際に同意した事項を思い出せないことや、生活環境が変化し結果説明の希望が変わることも想定し、研究参加者や血縁者がいつでも相談し、意思決定支援を受けられるような体制整備が重要と示唆されます。
- 限界と今後の課題
また、AYA(Adolescent and Young Adult)世代にあたる20-30代の回答者数が限られていたことから、全ゲノム解析の成果が期待される小児がんや希少難治性がんとともに、AYA世代のがん患者や家族の期待や懸念を明らかにすることが、今後の課題です。
本研究で行った調査は、2021年3月時点の結果ですが、その後、全ゲノム解析に関する啓発や周知が徐々に進みつつあります。今後も定期的にがん患者や家族への調査を実施し、期待や懸念を確認する必要があります。
- 研究費
発表雑誌
雑誌名:Journal of Human Genetics, 2022年12月12日論文タイトル: Expectations, concerns, and attitudes regarding whole-genome sequencing studies: a survey of cancer patients, families, and the public in Japan
著者: Izen Ri, Junich Kawata, Akiko Nagai, Kaori Muto*
(* 責任著者)
DOI番号:10.1038/s10038-022-01100-6
アブストラクトURL:https://www.nature.com/articles/s10038-022-01100-6#Abs1
患者・市民参画(Patient and Public Involvement: PPI)の取組み
本プレスリリース文における、患者・家族の視点からみた表現の適切性について、小児脳腫瘍の会 代表/一般社団法人日本希少がん患者会ネットワーク 理事・事務局長の馬上祐子様に、査読(レビュー)と助言を頂きました。御礼申し上げます。問い合わせ先
<研究に関するお問い合わせ>東京大学医科学研究所 ヒトゲノム解析センター 公共政策研究分野
教授 武藤 香織(むとう かおり)、助教 李 怡然(り いぜん)
https://www.ims.u-tokyo.ac.jp/imsut/jp/lab/hgclink/section07.html
<報道に関するお問い合わせ>
東京大学医科学研究所 国際学術連携室(広報)
https://www.ims.u-tokyo.ac.jp/imsut/jp/
用語解説
注1:全ゲノム解析人が生まれたときから持っているゲノム(遺伝情報のすべて)の全領域を調べること。従来のように特定の遺伝子に対象を絞って調べるのではなく、全ゲノム解析を行うことで、これまでは詳しく調べることができなかったゲノムの領域を解析できるようになる。
注2:全ゲノム解析等実行計画
診断や治療法のないがんや難病に対し、新たな診断方法や治療法を提供するといった医療の発展や、研究・創薬などへの活用を促進するためのデータベースを構築することを目的に、全ゲノム解析などを実施する事業。がんと難病合わせて10万人規模の解析を目指しており、がん領域では、主に難治性がん、希少がん、小児がん、遺伝性がんなどを解析対象として想定している。2019年12月に厚生労働省により第1版の計画が策定され、2022年9月に「全ゲノム解析等実行計画2022」が了承され、実施体制や運営方針の検討が進められている。
注3:がん遺伝子パネル検査(がん遺伝子プロファイリング検査)
がんの発生にかかわる複数の遺伝子の変化を一度に調べ、がんの特徴を知ることで、一人ひとりに適した治療法を検討するための検査のこと。保険診療で行われるもの、自費診療で行われるもの、研究で行われるものがある。