発表のポイント |
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概要
東京大学医科学研究所 感染症国際研究センター システムウイルス学分野の佐藤准教授らは、大規模な遺伝子発現データの解析により健常なヒト体内に存在するヴァイローム(ウイルス叢)(※1)の様相を網羅的に解明しました。ヴァイローム(ウイルス叢)とは、ヒト体内に存在するウイルスの総体のことであり、病気を発症していない健常人においても、ヘルペスウイルスをはじめとしたさまざまなウイルスが、さまざまな組織に、病状を示すことなく感染していると考えられています。これまでのウイルス学の研究においては、病気を引き起こすウイルスについて、病気を発症した感染患者に対する解析が中心であったため、健常人において、どのようなウイルスが、体内のどこに、どの程度(不顕性)感染しているのかについては未解明でした。
本研究では、米国のゲノムプロジェクトであるGenotype-Tissue Expression(GTEx)プロジェクト(※2)の提供する、547人の51種類の組織から取得された、計8,991サンプルのRNAシーケンスデータ(※3)を対象に大規模なメタゲノム解析(※4)を行いました。米国国立生物工学情報センター(National Center for Biotechnology Information)に登録された5,561種類の脊椎動物および無脊椎動物に感染するウイルスゲノム情報を用いて、対象サンプル中に含まれるさまざまなウイルスに由来すると考えられる配列を網羅的に検出し、定量化しました。
その結果、健常人のさまざまな組織において、さまざまなウイルスが感染していることを見出しました。さらに、ウイルスの有無とヒトの遺伝子発現情報とを比較することで、いくつかのウイルスのウイルス陽性の検体・組織において、ウイルス感染に対する免疫応答因子であるインターフェロンを含む自然免疫応答や、免疫細胞の一種であるB細胞の活性化が誘導されていることを見出しました。
さらに、本研究において、ヒトヘルペスウイルス7型(HHV-7)が胃に常在していること、および、胃におけるHHV-7の有無がヒトの遺伝子発現状態と強く関連していること、加えて、HHV-7が胃の何らかの生理的機能に影響を与えている可能性が明らかになりました。
本研究結果は、ヒト体内に存在するウイルスが、ヒトの免疫状態や生理的機能に関与していることを強く示唆するものです。本研究成果は、2020年6月4日英国科学雑誌「BMC Biology」(オンライン版)に公開されました。
研究内容
ウイルスの中には、ヒトに感染して病原性を持つものだけではなく、病原性を示さずに不顕性感染をしているものがあることが知られています。すなわち、特に顕著な病徴(症状)を示していない健常人においても、不顕性感染しているウイルスが、生体内のさまざまな組織においてヴァイローム(ウイルス叢)を形成していると考えられています。しかし、健常人から、心臓や脳などのさまざまな体内の組織を取得することはできないため、ヒトがどのようなウイルスに常態的に感染しているのか、また、それらのウイルスの感染がヒトにどのような影響を与えるのかなどについては明らかではありませんでした。本研究グループは、シーケンス技術(※5)の進展によって近年盛んに行われているメタゲノム解析を応用した解析手法を独自に構築し、健常人の遺伝子発現データセットを対象に大規模解析を行うことでこの問題に取り組みました。大規模インフォマティクス解析の実施には、東京大学医科学研究所のスーパーコンピューターHIROKANEを駆使しました。
具体的には、米国のゲノムプロジェクトであるGTExプロジェクトに登録されている健常人547人の51種類の組織からなる合計8,991のRNAシーケンスデータを対象に、5,561種類のウイルスゲノム情報を用いてメタ解析を実施することで、健常人の各組織におけるさまざまなウイルスの感染を解析し、ヒトの組織ヴァイロームを網羅的に解明することに成功しました(図1)。

図1 本研究で明らかにしたヒト組織ヴァイローム
その結果、健常なヒトの体内において、少なくとも39種類のウイルスが常在的に感染していることを明らかにしました。また、さまざまな組織に感染するウイルス(ヘルペスウイルスの一種であるエプスタイン-バールウイルス[EBV]、単純ヘルペスウイルス1型[HSV-1]など)が存在する一方で、高い組織特異性を持つウイルス(C型肝炎ウイルス[HCV]など)が存在することも明らかになりました。さらに、これまで組織特異性が知られていなかったHHV-7が、胃に高い割合で局在していることが明らかとなりました(図1、2)。

図2 胃におけるHHV-7感染と遺伝子発現プロファイルの関連
また、ウイルス感染の有無とヒト遺伝子発現との関連解析を行うことで、不顕性感染しているウイルスに対しても、ヒトの体内においてインターフェロンの発現や免疫細胞の一種であるB細胞の活性化などの免疫応答が潜在的に生じていることも分かりました(図2)。
以上の結果は、健常なヒトの体内に存在するヴァイロームが、ヒトの免疫状態や生理的機能に関与していることを示唆するものです。
本研究は、大規模バイオインフォマティクス解析によって、普段認識されることのない健常なヒトの体内に存在する“隠れた”ウイルス叢を網羅的に描出することに成功するとともに、ウイルスと宿主の新たな関係性の一端を明らかにした研究として意義のあるものと考えられます。また、本研究で用いた研究手法(メタトランスクリプトーム解析)(※6)は、きわめて汎用的であり、さまざまなシーケンスデータに適用可能であることから、あらゆるウイルス研究への応用が可能です。
今回のヒト組織ヴァイローム(ウイルス叢)の網羅的描出は、ウイルスと宿主の相互作用のさらなる解明に役立つとともに、新型コロナウイルス感染症を含めたウイルス感染症の制圧法の開発に向けた基礎学術基盤の形成につながる成果であるといえます。
本研究の支援
本研究は、熊田 隆一 大学院生に対する科学技術振興機構 AIPチャレンジ、伊東 潤平 博士研究員(学振PD)に対する日本学術振興会 特別研究員奨励費(PD 19J01713)、佐藤 佳 准教授に対する新学術領域研究「ネオウイルス学」(16H06429, 16K21723, 17H05813, 19H04826)、科学研究費補助金 基盤研究B(18H02662)、日本医療研究開発機構 感染症研究革新イニシアティブ(J-PRIDE)(19fm0208006h0003)、日本医療研究開発機構 新興・再興感染症に対する革新的医薬品等開発推進研究事業(20fk0108146h0001)、科学技術振興機構CRESTの支援の下で実施されました。発表雑誌
雑誌名:「BMC Biology」6月4日オンライン版論文タイトル:A tissue level atlas of the healthy human virome
著者:熊田 隆一1, 伊東 潤平1, 高橋健太2, 鈴木忠樹2, 佐藤 佳1*
(1東京大学医科学研究所システムウイルス学分野;2国立感染症研究所所感染病理部)
DOI番号:10.1186/s12915-020-00785-5
URL:https://bmcbiol.biomedcentral.com/articles/10.1186/s12915-020-00785-5
用語解説
(※1)ヴァイローム (virome)ある領域に存在するウイルスの総体のこと。ウイルス叢とも言い、近年活発に研究が進められているマイクロバイオーム(微生物叢)の一部です。本研究では、ヒトの体内に組織特異的に存在するヒト組織ヴァイロームに着目しました。↑
(※2)Genotype-Tissue Expression(GTEx)プロジェクト
ヒトの組織特異的な遺伝子発現と遺伝子制御、および、それらに関連するゲノムの変異を調べるための大規模なデータセットを提供する米国のゲノムプロジェクトのことです。 ↑
(※3)RNAシーケンスデータ
サンプル中に存在するRNAの配列情報。主に、遺伝子発現(転写産物)を定量化する用途で取得される。トランスクリプトームとも呼ばれます。 ↑
(※4)メタゲノム解析
サンプル中に存在するゲノムDNAを網羅的に解析する手法のこと。主に、サンプル中に含まれる、微生物群集を調べるために用いられます。 ↑
(※5)シーケンス技術
塩基配列解読技術。次世代シーケンサーを用いることで、並列的に高速に、核酸の塩基配列情報を決定することが可能です。 ↑
(※6)メタトランスクリプトーム解析
サンプル中に存在するRNAを網羅的に解析する手法のこと。本研究では、RNAシーケンスデータに含まれる、ヒト遺伝子由来の配列とウイルス由来の配列のプロファイルを網羅的に取得しました。 ↑