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がんの多様な進化をシミュレーションで理解する
-スパコンSHIROKANEを用いてがん治療戦略開発のための数理的基盤を構築-

発表のポイント
  • がんの多様な進化様式を統一的に記述するシミュレーションモデルを構築し、それらの実現する条件について、スーパーコンピュータを用いたシミュレーション解析によって明らかにした。
  • がんの多様な進化様式を、原理的に説明することが可能になった。
  • がんの進化を理解する上での数理的な基盤を提供することで、がんの治療抵抗性の理解及びそれに基づいた治療戦略の開発に資すると期待される。

 概要

がんは細胞のゲノムに変異が蓄積し増殖能力、悪性度の高い細胞が進化的に選択された結果生じる進化の病気だと捉えることができます。また、がんはその進化能力の高さゆえ、治療によって変わった環境にも適応し、容易に治療抵抗性(注1)を獲得してしまうので、がんの進化原理の理解は治療戦略を練る上でも重要な問題です。

これまでのゲノム研究によってがんの進化は大きく分けて4つの進化様式があることが分かっていましたが、それらがどのような条件下で実現されているかについてはよく分かっていませんでした。そこで東京大学医科学研究所ヒトゲノム解析センターゲノム医科学分野 新井田厚司 講師、同ヘルスインテリジェンスセンター健康医療データサイエンス分野 長谷川嵩矩助教(研究当時)、同ヒトゲノム解析センターゲノム医科学分野柴田龍弘 教授、同ヒトゲノム解析センターDNA情報解析分野宮野悟 教授 (研究当時)らの研究グループは、多様な進化様式を実現しうる統一的進化シミュレーションモデルを構築し、東京大学医科学研究所のスーパーコンピュータSHIROKANEを用いて様々な条件をふって超並列シュミレーション(注2)を行うことで個々の進化様式が実現される条件を決定しました。

本研究はがんの進化を理解する上での数理的な基盤を提供することで、今後のがんの治療抵抗性の理解及びそれに基づいた治療戦略の開発に資すると期待されます。
 

 発表内容

がんの発生は古典的には、正常細胞が細胞の増殖、生存に有利に働くドライバー変異(注3)の獲得及びそれに付随する自然選択を繰り返し、悪性度の高い均一な細胞集団に進化する、直線的進化の過程であると捕らえられてきました(図1A)。


      
      図1:がんの多様な進化様式

A-D) がんの主要な四つの進化ダイナミクス。赤い星は一塩基変異等の通常のドライバー変異を表す。緑の星はコピー数異常や構造異常を生み出す染色体又はゲノムレベルでの大規模な遺伝子変異を表す。
E) 大腸がん発生過程における腫瘍内不均一性形成原理を説明する進化モデル。


しかしながら近年、腫瘍の複数領域から得たDNAサンプルをシーケンスする多領域シーケンス(注4)によって、一つの腫瘍の中においてがんの進化の過程で異なる変異を有する多数のクローンが生み出され、腫瘍内不均一性(注5)が形成されていることが明らかになってきています。

また、がんのタイプによって、一部の細胞にのみ存在するドライバー変異が腫瘍内不均一性に寄与する、すなわち自然選択によって腫瘍内不均一性が形成されている場合がある一方で(図1B)、細胞の増殖、生存に影響を与えない中立変異(注6)の蓄積によって、すなわち中立進化によって腫瘍内不均一性が形成される場合もあることが明らかになっています(図1C)。

この腫瘍内不均一性の生成原理は、がん種間でその違いが確認されているのみならず、これまでに新井田らは大腸がんの発がん時系列において移り変わることを見出しています (Saito et al., 2018)。すなわち早期病変においては自然選択によって腫瘍内不均一性が形成されている一方で、進行がんにおいては中立進化によって腫瘍内不均一性が形成されていることを発見しています。

また、上記で仮定していたような一塩基変異の蓄積によって徐々に進んでいく漸進的進化に対して、コピー数変化や構造異常等の染色体、ゲノムレベルでの大きな変化が短時間で起こり急速的に進化が起こる断続的進化という進化様式も注目を集めています(図1D)。

以上、これまでに大きく分けて4つの進化様式が提唱されてきましたが、それらがどのような条件下で実現されているかについては不明な点が多くありました。

一方、がんの進化を原理的に理解するためのツールとしてエージェントベースドモデルを用いたシミュレーションが有用であると考えられます。エージェントベースドモデルは独立したエージェントと呼ばれるシステムの構成因子を仮定し、エージェント自身の自立的振る舞い、エージェント間及びエージェント環境の相互作用の規則を規定したものです。おのおのの細胞をエージェントとして仮定すれば、腫瘍内不均一性も、おのおののエージェントの内部状態の違いにより容易に表現できます。

また、新井田らは最近、エージェントベースモデルの特性を解析するためのパラメータ感受性解析(注7)のための新しい方法論であるMASSIVEを開発しています(Niida et al., 2019)。MASSIVEはこれまでのパラメータ感受性解析手法とは全く異なるアプローチをとり、大規模な並列計算と対話型のデータビジュアライゼーションを組み合わせることによって、広いパラメータ空間を直感的に探索することを可能としています。

これらを踏まえて本研究では上記に述べた異なる4つの進化様式が実現される条件を明らかにするためにエージェントベースドモデルを用いてかんの多様な進化様式を実現しうる統一的進化シミュレーションモデルを構築し、東京大学医科学研究所のスーパーコンピュータSHIROKANE上でMASSIVEによるパラメータ依存性解析を行いました。

その結果、強いドライバー変異を仮定すると直線的進化が起こる一方で、ドライバー変異が弱い場合は自然選択によって腫瘍内不均一性形成されることが示されました。また中立進化による腫瘍内不均一性形成には高い中立変異率が必要であり、がん幹細胞の存在も中立変異蓄積を促進することによって中立進化に寄与することが明らかになりました。

また、断続的進化は細胞増殖に必要なリソース制限を解除する爆発的ドライバー遺伝子を仮定することで再現できました。さらに上記に述べた大腸がん発がん過程における自然選択から中立進化の腫瘍内不均一性形成原理の移り変わりは断続的進化により引き起こされているということもシミュレーションにより明らかになりました(図1E)。このことはまた、異なる進化様式は別々に起こるのではなく、発がんの過程で連続的に移り変わって起こるこということを示しています。

なお、本研究の全てのシミュレーション解析の結果は、
A unified simulation model for understanding the diversity of cancer evolutionにて対話的に探索可能です。

以上、本研究ではスーパーコンピュータを用いたシミュレーション解析によってがんの多様な進化が生み出される原理を明らかにしました。がんはその進化能力の高さゆえ、治療によって変わった環境にも適応し容易に治療抵抗性を獲得してしまうので、がんの進化原理の理解は治療戦略を練る上でも重要な問題です。本研究はがんの進化を理解する上での数理的な基盤を提供することで、今後のがんの治療抵抗性の理解及びそれに基づいた治療戦略の開発に資すると期待されます。

 発表論文

雑誌名:PeerJ
タイトル:A unified simulation model for understanding the diversity of cancer evolution
著者:Atsushi Niida*, Takanori Hasegawa, Hideki Innan, Tatsuhiro Shibata, Koshi Mimori and Satoru Miyano
掲載日:2020年04月08日
DOI:DOI 10.7717/peerj.8842
URL:http://doi.org/10.7717/peerj.8842

 

 用語解説

注1:治療抵抗性
がんが抗がん剤治療に抵抗性を示すこと。進行がんで一時的に治療が効いて腫瘍が縮小してもほとんどの場合、治療抵抗性を獲得し、再び増大して再発に至る。
注2:超並列シミュレーション
スーパーコンピュータを用いて数千以上のシミュレーションを同時に行うこと。本研究で用いたスーパーコンピュータSHIROKANEはパソコンの数千倍の計算能力を有する。
注3:ドライバー変異
変異のうち細胞の増殖、生存に有利に働きがんの原因となると考えられるもの。ドライバー変異を持った細胞は自然選択を受け細胞集団内で広がる。
注4:シーケンス
ゲノム情報をコードしているDNAの配列を決めること。 通常、がんゲノムのシーケンス解析の場合は正常細胞と比較して、ゲノム中でがん細胞において変化している部分、変異を同定する。
注5:腫瘍内不均一性
一つの腫瘍の中に異なる変異を有する複数種の細胞集団が存在する現象。がん細胞が進化する過程で異なる細胞が異なる変異を獲得することにより形成される。
注6:中立変異
変異のうち細胞の増殖、生存に影響を与えないもの。中立変異でも偶然的に細胞集団内で広がることがあり、中立進化と呼ばれる。
注7:パラメータ感受性解析
シミュレーションモデルの条件を定めるパラメータ値を変化させてシミュレーションを繰り返し行うことで、シミュレーション結果に影響を与える条件を決定すること。

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