「ウイルス」という言葉を耳にした時、みなさんは何をイメージするでしょうか?

「病気(病原体)」でしょうか?

「流行(伝染)」でしょうか?

それとも、雲丹やたわし、あるいはスパゲティのようなその「かたち(形状)」でしょうか?

想起されるものは、おそらくひとそれぞれで違うであろうと思います。 それはつまり、ウイルスのウイルスたるアイデンティティ、ウイルスのレゾンデートル(存在理由)を捉えようとする時、それは思いのほか容易ではないことを意味します。

それでは、ウイルスのウイルスとしてのアイデンティティは何でしょうか?

「ウイルス」という言葉は、それを表現する上での総称、あるいは虚像のようなものです。 たとえば、「今年流行しているインフルエンザウイルス」を例に挙げてみましょう。 その形状は、「昨年流行したインフルエンザウイルス」と同じ、インフルエンザウイルスとしての典型的な形をしているでしょう。 ですが、病原性や感染性は、「昨年流行したインフルエンザウイルス」とは違います。 そして、自分が感染したウイルスと隣人が感染したウイルスは同一ではないし、さらに言えば、昨日自分の中で増えていたウイルスと今日自分の中で増えているウイルス、明日自分の中で増えているであろうウイルスすら同一ではありません。

このように、「ウイルス」という言葉だけでは、その実像を定義し、表現することができません。 私のウイルスのイメージは、喩えるなら、群をなして夕空を飛ぶ渡り鳥の集団や、海中を回遊する稚魚の群れのようなものです。 個々それぞれひとつひとつを実体として詳細に確認・認識することはできるけれど、その群そのものを「総体」として捉えようとした時、その実体は曖昧で、変幻自在でありながら、それはあくまでひとつの「集団」として捉えられ、挙動するもの、そんなイメージです。

そう考えた時、ウイルスをウイルスたらしめるアイデンティティは何でしょうか? 形状も、病原性も、あるいは遺伝型や血清型のような専門的な分類も、それぞれこの問いに対する十分条件(りんご、すいか、さくらんぼ)としての解ではあるけれど、そのいずれも必要条件(果物)としての解ではありません。 ウイルスをウイルスとして表現するための必要条件、すなわち、ウイルスの「実像」とは何か?

「システムウイルス学」とは、この問いに解を与えることを目指す学術分野であり、造語です。 「生命をシステムとして理解する」ことを標榜するシステム生物学に倣い、当システムウイルス学分野では、「ウイルスをシステム(総体)として理解する」ことを目的とした学問の創生を目指します。 既存のウイルス学の公約数ではなく、これまでのウイルス学と他分野の公倍数となるような、学際的な研究分野の開拓を目指します。

佐藤佳

2018年1月 京都にて