伝研時代の先達
北里 柴三郎(1853-1931)
私立伝染病研究所創立者兼初代所長。1892年に留学先のドイツから帰国後、福澤諭吉等の援助を得て私立伝染病研究所を設立。「日本の細菌学の父」として知られ、ペスト菌や破傷風の治療法を発見し、国内外での伝染病予防と治療に貢献した。

青山 胤通(1859-1917)
私立伝染病研究所第2代所長。北里柴三郎らとともに香港で流行したペストを研究調査し、日本医学界の指導的地位にあった。

長與 又郎(1878-1941)
私立伝染病研究所第4代所長。ツヅガムシの病原体を発見。以来ツヅガムシの発育環を明らかにし、その疫学的方面でも幾多の新知見をもたらした。また、日本の癌の実態を統計的につかみ、癌研究の方向づけに具体的示唆を与えた。

野口 英世(1876-1928)
日本の細菌学者。1898年私立伝染病研究所助手に採用され、北里柴三郎のもとで細菌学の研究に入る。数々の論文を発表しノーベル生理学・医学賞の候補に三度名前が挙がったが、黄熱病の研究中に自身も罹患し、1928年(昭和3)5月21日、英領ゴールド・コースト(現在のガーナ共和国)のアクラで51歳で死去。

志賀 潔(1870-1957)
東京大学医学部卒業後、私立伝染病研究所に入所。北里柴三郎から細菌学や免疫学の教えを受け、赤痢菌を発見した。明治時代の日本の近代化のなかで世界に通用する科学研究の成果を成し遂げた先駆者と評される。赤痢菌の学名(属名)は志賀に因む Shigella であるが、これは主要な病原細菌の学名に日本人の名前が冠されている殆ど唯一の例となった。
