ラボラトリーひとくちメモ(3)

若きモレキュラーバイオロジストよ、21世紀の分子生物学は君たちに委ねられている!

 今月でこのシリーズは3回目になりますが、このままだと大海は修理屋か便利屋であると誤解されかねないので、今回は視点を少し変えてみたいと思います。

私は結局タンパク質を...

 7月号の『編集部だより』に、本誌の編集部長である須摩春樹氏が『今の分子生物学は手段にすぎない。』と論評していますが、なかなか思いきったことをという印象を受けました。ちなみに須摩氏と私は理学部物理学科の同級でして、お互いとんでもない道に進んだものです。彼がこのようなことを宣うのも少なからず私の影響があったのではないかと責任を感じている次第です。

 私が生化学の世界に入ったのは大学院のときで、医学部生化学教室で今堀和友教授(現三菱化成生命科学研究所・名誉所長)の指導を受けました。『お前がやっとるようなことを、俺は教えた覚えはない。』と今堀先生のお叱りを受けるかも知れませんが、若いときの指導教官の影響力は大変なもので、今でも私の研究の進め方の随所に今堀教授のスタイルが潜んでいると自負しています。大学院をやめて就職した(財)東京都臨床医学総合研究所で、はじめて『分子生物学』をかじりました。このとき手ほどきを受けた大野茂男氏(現横浜市立大学医学部)や榎森康文氏(現東京大学理学部)には申し訳ないと思いますが、結局どろどろしたタンパク質を扱うほうが私には合っているような気がします。現在は、細胞レベルでの現象をタンパク質の翻訳後修飾という観点から研究して行こうと思っています。この領域は、いわゆる分子生物学的テクニックだけではカバーしきれない部分があるので、競争もそれほど激しくないからです。

分子生物学は方法論にとどまるべきではない

 自分のことばかり書いてしまいましたが、本題にもどりましょう。人・金・場所(これは研究指導者の三種の神器と考えられ、医科研でのはやり言葉のひとつです)に恵まれた研究者ならば、あらゆる手法を駆使して生物学を分子レベルから研究して行くことが可能です。これが究極の分子生物学であると思いますが、だれでもこのような環境で研究できるわけではありません。したがって、個々の研究者が各自の得意な手法を用いて、さまざまな角度から研究対象に取り組むべきです。『分子生物学』とは、生命現象を物質の構造にもとづいて解き明かしてゆく総合的学問であり、核酸を扱う方法論にとどまらないと思います。一昔前、生化学が生命科学の先端的領域であるともてはやされた時代があったように、現在は分子生物学の絶頂期です。分子生物学的手法を取り入れてなければ、有名なジャーナルに論文は採択されにくく、研究費を得るのも困難になります。だから、多くの研究者が『分子生物学』に流れてしまうことは納得できます。また、氾濫している市販のキットを利用すれば、素人でもある程度の実験ができるようになっています。つまり、研究指導が楽なわけです。ライブラリー作製、スクリーニング、クローニング、シーケンシングとプロトコール通りに馬車馬のように働けば、目的の遺伝子が単離でき、さらにこれをプローブにして様々なことが既製の方法にのっとって可能です。やりようによっては論文もワンパターンで書けてしまいます。

手を休めて空想せよ

 もちろん、独創的な手法を取り入れ、苦労しながら分子生物学的研究を行っているひともいます。しかし、私たちは本来、生物学を志しているわけです。少し時間をとって、対象となる生物をじっくりと眺めてみてください。何かの変異株をもっているならば、細胞を顕微鏡で観察し、空想をめぐらせてみてください。こんなことをしたからといって、何かわかるわけではありませんが、生物とは実に不思議なものです(この場合、見るほうも見られるほうも生物です。)。ちょっとしたことから奇抜なアイデアが生まれてくることがあります。

分子生物学に限ったことではないけれど...

 具体的なことを書かないで終わってしまってはよくないので、これから分子生物学の世界に入ろうとしている学生さん、また研究室の歯車に組み入れられて既に核酸を扱っている若い研究者の皆さんに幾つか申し上げておきます。

第一に、目標を達成するためには他の研究分野の手法を取り入れることを臆さないことです。そして大事なことは、それを人任せにせず自らの得意技にすることです。若いうちは新しい技術を習っても、よい指導者を選べば、すぐに順応・習得できます。また、自分の手を動かして獲得した実験センスは、研究者の財産として一生役立てることができます。分子生物学をやっていた大学院生が、ちょっとした必要性からタンパク質を扱うようになり、とうとうタンパク質化学にどっぷり浸かってしまった例もあります。どのようなときでも分子生物学に立ち戻るのは難しくないと思います(ただし、老眼でエタノール沈殿が見えなくなってしまってからは問題かも)。

第二に、独創性を重視することです。ひとことで独創性といってもつかみどころがありませんが、例えば新しい発想に基づいた手法です。キットなどの既製の概念だけにしたがって研究を進めていたのでは、もし力のある競争者が現れたときはひとたまりもありません。独自のアイデアによる研究であれば、少なくともスタート時点でだれにも負けていないことは間違いありません。何かを思いつくためにはきっかけが必要ですが、これは専門分野が全く異なる研究者と積極的に接触することでチャンスは得られます。そして、あらゆることを自分の研究遂行に当てはめてみる習慣が望まれます。

最後に、情報をうまくさばくことです。これからは情報過多の時代です。研究室の端末からアクセスすれば、最新の情報が瞬時に得られます。ここで、取り入れるべき情報と無視すべき情報をどうやって選別してゆくかが最も重要です。文献検索で知ることができる発表論文の内容のかなりの部分が誤りであるといっても過言ではありません。教授レベルの指導的研究者でも情報に振り回されて、収拾がつかなくなってしまうことがあります。情報に溺れないための対策は、なかなか難しいことですが、要するに自分の手を動かして実験に取り組み、結果に自信をもって、惑わされないことです。

 現在、各国でゲノムプロジェクトが推進され、分子生物学はこれから最盛期をむかえようとしています。しかし、いずれは核酸を中心としたテクノロジーが行き詰まってくるときがくるでしょう。そのときのバイオロジーの突破口を築くのは皆さんです。